戦国時代
 

歴史のターニングポイントとなった、古戦場跡等について紹介します。(順不同)

桶狭間古戦場跡

桶狭間の合戦

現在は静かな庭園になっています。

この地が狭間であったことは、近くに小高い丘(競馬場)があることからなんとなく想像出来ます。

三太刃七太刃の像

川中島の合戦

信玄の本陣まで突入してきた謙信の太刃を軍配で受けたとされる像。


妻女山より見た川中島

上杉謙信は妻女山の上で、琵琶を弾いていたという話しですが、本当でしょうか?

三方ヶ原古戦場跡

三方ヶ原の合戦

京都への西上作戦により侵攻してきた武田信玄とこれを阻止せんとする徳川家康とが三方ヶ原で激突。

結果は、武田軍の大勝利でした。

 

現在は、写真の碑があるのみです。

浜松城

浜松城

当時の徳川家康の居城。

三方ヶ原で敗北を喫した後、命からがら逃げ帰ったと伝えられる。

長篠の合戦

歴史の教科書では必ず、鉄砲対騎馬の戦いであり、信玄無き後の後継者「勝頼」の無謀さを非難していますが、勝頼は本当に猪突猛進な武将だったのでしょうか?

各資料館においてもそのような解説がされていますが、新田次郎氏の「武田勝頼」を読むと見方が変わることと思います。

この戦いの後、武田家は急速に衰え、逆に織田信長は、天下取りに一気に進んで行った事を見ると、まさに歴史のターニングポイントであったと思います。

 

 

信玄塚

 

 

長篠の合戦で亡くなった、人々の霊を慰めるために敵味方の別なく塚を築いて弔ったという。

現在も8/15にはこの地で、戦死者の霊を弔う火おんどりが行われるという。


 

馬防柵

 

連合軍が、騎馬避けに造ったとされる柵。

この柵の外側が、両軍激突した主戦場です。

 


 

長篠城跡

 

ここにある資料館の説明は充実しています。

 

名護屋城跡

名護屋城跡

秀吉の朝鮮出兵時の前線基地。

ここへ立ち、海の向こうを見つめると当時の武将達の気持ちがわかるかも知れません。

--88年九州ツーリングのワンショットです。--

石田三成の陣跡

関ヶ原の合戦

天下分け目の関ヶ原。

この戦いの勝利により、徳川家康が天下を手中にしたといっても過言は無いでしょう!


 

合戦場

 

石田三成の陣跡の笹尾山からみた合戦場

大河ドラマの影響か、昔よりも整備されていました。

 

方広寺

豊臣氏滅亡の引き金

方広寺は、豊臣秀吉が奈良の大仏よりも大きい大仏を安置し創建したものですが、10年目に火災で消失。

これを秀頼が、再建したのですが、梵鍾の銘文に家康が言いがかりをつけ、大坂冬の陣、夏の陣へと繋がって豊臣家はこの世から消え去ったのでした。

現在は豊臣氏滅亡の引き金となった梵鍾を残すのみであります。

梵鍾の銘文「国家安康」「君臣豊楽」の文字はこちらをどうぞ。


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